[読者からの御質問]
はじめまして。きょーこと申します。
「クリスチャン・ライフ 1999/09/16号」から購読をはじめました。
わたしはクリスチャンではありませんが、息子の保育園がキリスト教
系だったこともあり、興味をもつようになりました。
というわけで、ほとんど知識がないといっても過言ではないかと思い
ます。これからいろいろ勉強させていただきたいと思っています。
さて、さっそくですが、一つ質問です。
>わたしという存在の価値は、キリストが払って下さった犠牲の大き
>さによって評価される、というのです。私に何ができるか、できな
>いか、には関係がないのです。
この部分です。キリストがわたしたちの罪を背負って十字架を背負わ
れたから、わたしたちには存在の価値がある、ということなのでしょ
うか?
ほんとうにそれだけの価値が、わたしにあるのでしょうか?何もでき
ないとしても?
参考になるような聖書の部分など、教えていただければ幸いです。
[牧師からの御返事]
きょーこさんへ
「クリスチャン・ライフ」を購読して下さり、ありがとうございます。大変嬉し
く思います。このようにして交わりを持てます事を感謝します。是非続けてご覧
下さいね。ところで、ご質問の件ですが、仰るとおり、自分に何もできなくても、
きょーこさんの存在が、神にとって、特別に価値があるのです。このことは、き
ょーこさんにとって、息子さんがどんなに価値があるかをお考えになれば、ある
程度想像できるのではないでしょうか。親にとって、自分の子供は、何が出来て
も出来なくても、その存在が何にも代え難い、尊いものではないでしょうか。そ
して、その価値は、きょーこさんが、息子さんに注ぐ愛情に比例して、ますます
深くなるのではないでしょうか。キリストにとって、私たちがどれだけ価値があ
るかは、キリストが表して下さった愛によってのみ測る事が出来ます。
神が私たちをどれだけ愛して下さっているか、を示す御言葉は沢山ありますが、
いくつか紹介します。
イザヤ49:15(口語訳聖書旧約1016p)
「女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろう
か。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れるこ
とはない。」
この「ても」に注目して下さい。神の愛は「ても」の愛だと言われます。母親
が自分の幼子のことを忘れても、神は決して忘れない。あなたが何が出来ても、
出来なくても、私の愛は変わることがない、と神が言われるのです。これを無条
件の愛と言います。人間の愛は条件付きです。「もし」あなたが私を大事にして
くれるなら、私はあなたと結婚します。「もし」あなたが勉強を一生懸命して1
00点とったら、褒美をあげる等々。
イザヤ64:10(新解約聖書1116p)
「たとい山々が移り、丘が動いても、私の変わらぬ愛はあなたから移らず、私の
平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。
ここにも、私たちに何かが出来る出来ないに関係なく、いつも変わらず愛して
下さる神の愛が示されています。
最後に、ローマ5:6,8(口語訳、新訳238p)
「わたしたちがまだ弱かった頃、キリストは、時いたって、不信心なものたちの
ために死んで下さったのである。・・・しかし、まだ罪人であった時、私たち
のためにキリストが死んで下さったことによって、神は私たちに対する愛を示
されたのである。」
神は、私たちがまだ神を信じない、神に背を向けて罪を犯している時に、命を
捨てて下さったほどの愛を示された、とあります。このように神の愛は、私たち
が神に対してよい子であるとかないとかに関係なく、また、私たちに何かが出来
る出来ないに関係なく、愛して下さっていることがおわかりになるのではないで
しょうか。
きょーこさんの上に、神の祝福と導きが豊かにあるように、またご主人や息子
さんにも神の祝福と守りがあるようにお祈りいたします。
明智信作