「あなただったら、どう思いますか?」

 お元気ですか? 明智信作です。ある牧師がたまたまバスの中で見たことを本 で読んだことがあります。椅子にかけていた一人の男性が、前に立っていた一人 の若者に、「私の、降りるバス停は、〇〇ですが、ここから、何番目ですか」と 尋ねました。しかし、若者は黙っていました。尋ねた男性はかなり重症な吃音者 で、なめらかに言葉が出ず、つかえながら一生懸命に尋ねたのでした。前にいる 若者が答えてくれないので、彼は若者が聞こえなかったのかと思って、再び尋ね ました。すると、その若者は何も言わずに出口のほうに移って行きました。それ を見ていた乗客の一人が、若者を次のバス停に引きずりおろしました。ちょうど 牧師もそこで降りました。引きずりおろした男は、いきなり若者を殴りつけて、 なじりました。「どうして一言も答えてやらなかったのか」
 すると若者は泣きながら答えました。「僕も、彼と同じ吃音者です。もしも、 僕が答えたら、あの人は、自分の真似をされたと思って、もっと、傷ついたに、 ちがいありません。」若者は途切れとぎれに答えました。
 殴った乗客はどんな気持ちがしたでしょうか。とんでもない誤解だったわけで す。あなたが同じ状況にでくわしたら、この若者が返事をしなかったことに対し て、どう思ったでしょうか。わたしもあの乗客と同じように、若者の不親切にた いして腹をたてたように思います。しかし事実は正反対でした。若者は、尋ねた 吃音者の気持ちを思いやって、善意から返事をしなかったのでした。
 私たちの生活のなかでは、同じように人の言葉や、行動を早とちりして誤解し たり、悪くとってしまう過ちをよくしてしまいます。きっとわけがあるにちがい ない、と考え、善意に解釈する愛の心がほしいものです。聖書はあらゆる悪意を 取り去るように、と教えています。結論を下す前に、きっとわけがあるに違いな い、と考える心のゆとりを与えて下さい、物事を善意に解釈する心を与えて下さ い、と祈り求めたいものです。
                             (by 明智信作)